飛鳥時代の女流歌人・額田王に歌われた熟田津は何処?吉高由里子主演の「光る君へ」のさきがけか?

今年(令和6年)のNHK大河ドラマは平安時代の女流作家である「源氏物語」を書いた紫式部(主演:吉高由里子)の人生を描いております。

しかし、平安時代のもっと前、飛鳥時代にも有名な女流歌人がいたのです。
それは、額田王(ぬかたのおおきみ)です。彼女が歌った歌で有名な歌があります。

「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 」

熟田津は古三津なのか?

熟田津(にぎたつ)は地名なのですが、松山市の古三津ではないかと伝わっています。
それを偲んで久枝神社には句碑も建立されています。

漢文で書かれた句碑
「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 」とかかれています。

三津土地改良区が建立しました。

額田王とは?

額田王(ぬかたのおおきみ。生没年不詳。女性)は、飛鳥時代の日本の皇族・歌人です。
天武天皇の妃(一説に采女や巫女)です。
一説によると天武天皇、天智天皇との三角関係も噂されています。

万葉集には以下の歌が収められています。

茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20・額田王)

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)

その他、熟田津の他の候補地は?

松山市内の古三津、和気町、堀江町などが候補地としてあげられています。
三津厳島神社にも額田王の歌を題材にした絵馬が飾られていました。

古代の港。《日本書紀》に斉明7年(661)の百済救援軍の船が大伯海(おおくのうみ)(現在の岡山県瀬戸内市の海)から伊予の熟田津の石湯行宮(いわゆのかりみや)に停泊したとある。
熟田津の位置を松山市古三津町あるいは同市和気町,または堀江町に比定する諸説がある。
※出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」


紫式部よりずっと前の時代に活躍した女流歌人・額田王が歌った熟田津の歌から候補地を探ってみました。